数十年前まで我が家に大山阿夫利神社の神職である先導師さんがお泊りになって周囲にお札を配ってあるいた縁から、年に一度は大山参りをするのが当家伝統の行事である。
まあ、青梅の御嶽神社の御師(おし)さんも時期になると我が家にお泊りになってお札を配って歩いた縁から、御嶽神社にも毎年参拝するわけであるので、この二つの神社に毎年お札をいただきに行くのであるが、ものすごくめんどくせー、あ、いや失礼、このような人生の楽しみを与えて頂いたご先祖様に感謝の念を禁じ得ないのである。
大山阿夫利神社に行くには、大山ケーブル駅までこま参道の362段の階段を登るのがあたしら筋肉マニアの楽しみである。
こま参道には先導師さんの経営するお宿が多々あって、豆腐料理や獅子鍋鹿鍋てなものを楽しめるのであるが、今回は「先導師旅館ねぎし」で昼飯である。
門の看板に先導師根岸巳恵造と大書してあり、相手にとって不足はない申し合いである。
この場合、申し合いの用法が適切かどーかは定かでないが、とにもかくにも入口の階段を上がって歩を進めないことには昼めしが食えないのである。
旅館となっているが、いわゆる宿坊であるので、そこはかとないおもむきのある造りで、これがまた、あたしら修行僧にはまたとない嬉しさを与えてくれるのである。
庭園のお池には鯉だっているのである。
ふた部屋の客室を衝立で仕切って、4組がご一緒にお食事ができるていの配置である。
お隣のご夫婦が先におられたのであるが、食事がお済みになって、あたしと入れ替わりにお帰りになったのであたし一人で貸し切りである。
これが一人旅の醍醐味であるが、友達がいない変わり者の常であるというのも言うまでもないことである。
なにしろ至道であるので、あたしら修験者にはうってつけのお食事処と言わざるを得ないのである。
能書きたれてるだけでは先に進まないので、とにもかくにもお品書きを見て、「ううむ、今日の気分は猪鍋だ」つーことでご注文である。
この猪鍋の味噌がまたぜつみょーで言うに言われぬ味わいである。
猪鍋をつつがなく完食して、さて飯のあとは何が何でもデザートを食わなければならないという強迫観念にいざなわれて、階段をあざやかな足取りで駆け上がって、数年前に豆腐料理を食ったかんき楼で本日は甘味をご所望である。
白玉に小豆と柚子ジャム、さらに砂糖たっぷりコーヒーを飲むのは珈琲党の党規約であるので、カロリーを十分に補充して、まだまだ続くケーブルカー駅までの階段踏破の激烈な筋肉疲労に備えるのである。
362段でそんなに言わんでも。
かんき楼の前にある戸隠神社に参拝して、いつものごとく大枚100円を寄進したのは言うまでもないことである。