なんつっても、かんつっても、年がら年中来てるので、メニューは目新しいものはなくて、お薦め一品料理てなジャンルからの選択であるのである。
この包包(パオパオ)サラダ(2~3人前)なるものが、内容は北京ダック風に春巻きの皮に鶏肉、卵、野菜てなもんを包んで、北京ダック風のソースで食うつーよーなお料理であるが、これが2~3人前と言い張るだけにけっこうなボリュームで、これだけで十分食事になる量であるのである。
いいね、なんつってもファミレスは量であるのである。
味は慣れればそれなりに美味いのである。
味は慣れであるのである。
だから、どなたも、生まれた地方地域と親の味覚が原点にあり、それをもとにして美味いだの不味いだのとえらそーにのたまうわけである。
どんなに高級とされる料理も、その原初的な個人個人の味覚に合わなければ、くそ不味いだの、あるいは絶品だのと判断されるつーだけのことであるのである。
まあ、いわゆるお袋の味てなことで、家庭により育てられてときに慣れた味が脳にインプットというよりはプログラミングされてしまうので、そこから派生した味覚判断により、まいうーだの食えたもんじゃないだのと脳が判断するわけである。
また、料理評論家てなもんは、高級とされる内外の店の味をぐるぐる回って覚えてきて、それに近いかどうかで不味い美味いを判断してるのであって、あれ、本人が本当に美味い不味いと感じているかどうかとは違うのである。
たとえば江戸前の有名蕎麦店のあたしが絶妙と感じる蕎麦つゆも、東北地方の人にとっては甘過ぎで、関西地方の人にとっては出汁がいまひとつで塩っぱ過ぎると感じて食えたもんじゃないと判断する人もいるわけである。
あたしが死ぬほど好きな、朝掘りのタケノコをアク抜きせずにそのまま直(じか)炊きして鰹節と醤油だけで味付けした料理も、アク抜きして甘く味付けしてタケノコの香りも味もなくなったものを食べ慣れてる人からすれば辛くてエグくて食えたもんじゃないと感じる人もいるわけである。
さらに、タケノコが育ち過ぎて竹に成りかけの青臭い香りのものを調理したものでないと食う気にならないという知人もいるのである。
つまり、味てなものは、育ちあるいは慣れによる、ものすごく個人的な好き嫌いであるので、理由はないし、正誤もないわけである。
まあ、てなことで、本日もご幼少のみぎり下品な某工場地帯の片隅でお育ちのあたしの舌により判断され、大変美味しゅうございました。
いや、べつに他意はございません。
ううむ、いまひとつキレが悪いな。
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